米沢牛

登録番号 26
名称 米沢牛 (ヨネザワギュウ)、YONEZAWAGYU
分類 食肉
登録区分 第6類 生鮮肉類 牛肉
登録日 2017/03/03
生産地 山形県
置賜地域(米沢市、南陽市、長井市、高畠町、川西町、飯豊町、白鷹町、小国町)
連絡先

米沢牛銘柄推進協議会

山形県東置賜郡高畠町大字福沢282-2

http://www.yonezawagyu.jp/

米沢牛
※提供元:米沢牛銘柄推進協議会

「米沢牛」は、山形県置賜地域を生産地とする、出荷時の月齢が32か月以上の黒毛和種かつ未経産雌牛の牛肉で、その品質は、「牛枝肉取引規格」による格付において肉質等級3等級以上です。品質の高さ、食味の良さから、しばしば日本三大和牛と称されますが、その背景には、長きにわたる伝統の蓄積があります。
 明治初期に米沢市内に最初の牛肉店が開店されて以来、米沢牛は、その品質が高く評価され、おもてなし料理のための肉として扱われてきました。現在でも、米沢周辺に訪れる観光客は、米沢牛のステーキ・すき焼き・しゃぶしゃぶを楽しみにするほどの目玉商品となっています。また、1899年の奥羽本線開通に伴って米沢駅で販売開始された米沢牛駅弁は、長い歴史を経た現在でも販売され、高い人気を博しています。このように、「米沢牛」は消費者の間に広く認識され、我が国の牛肉食の文化において確たる存在感を得ています。市場においては2割程度高く取引されており、社会的評価の高さが反映されていると言えます。

明治維新により米沢藩は廃止され米沢県となり、初代県知事上杉茂憲は、1871年、興譲館(こうじょうかん)に英国人教師チャールズ・ヘンリー・ダラス氏を招き、英語・地理を教授させました。「興譲館」は、米沢藩第九代藩主上杉鷹山が開校した藩校です。4年後にダラス氏が任期を終え米沢を離れる際に、添川村(現在の飯豊町)産の一頭の牛を横浜居留地へ持ち帰りました。その牛肉を味わった人々がその旨さを口々に褒め称えたことから、ダラス氏は米沢の家畜商と横浜の問屋を契約させ「米沢牛」として売出しました。これが評判となり「米沢牛」が全国に知れわたる端緒となりました。
 また、ダラス氏の勧めで1875年に米沢市内に最初の牛肉店が開店して以来、多くの牛肉販売専門店が次々と開業しました。明治以降、米沢では絹織物が産業として興っており、京、大阪など関西地方から織物の買い付けに訪れた商人を相手に米沢牛の「牛鍋」をご馳走することが多かったと伝えられています。牛肉の味に慣れていた関西の人々を魅了したことが、米沢牛の評判を全国的に広めるきっかけになったと考えられます。
 明治中頃(1890年代)までには、米沢及び周辺に放牧場やと畜場が設置されるなど、産業としての米沢牛の生産が軌道に乗り、大正初期(1910年代)には年間300頭を超すと畜頭数となりました。このように、米沢の地において米沢牛の需要が伸びたことにより、米沢周辺で肉牛肥育が盛んになっていきました。
 1978年12月、置賜地域の肉牛生産者の肥育技術の研鑽・向上を図るため、「置賜牛枝肉共進会」が初めて開催され、現在も「米沢牛枝肉共励会」と「米沢牛枝肉共進会」に分かれた形で継続しています。
 1980年代、肉牛の取引は、主流であった生体取引から、枝肉取引に次第に移行する中、1988年、米沢牛の安定的な東京食肉市場への枝肉出荷に向け「米沢牛出荷組合」が結成されました。さらに1992年には、米沢牛の更なる銘柄確立のため、行政・関係団体一体となって「米沢牛銘柄推進協議会」が発足し、米沢牛の統一基準が定められました。このような活動に支えられ、「米沢牛」の地域ブランドとしての信頼性が確立されています。

ページ
トップ

日本の伝統的な特産品の魅力を発信